プロダクション・ノート1|2|3 (End)
「これで死んだら、ぶっ殺すぞ、ハリー」
戦いが山場を迎える一方で、ハリー、ハーマイオニー、ロンは二手に分かれる。ハリーは引き続き分霊箱を探し、ハーマイオニーとロンはその破壊方法を追求することになった。かつてサラザール・スリザリンのロケットを破壊するときに使ったグリフィンドールの剣は、グリンゴッツ銀行で失ってしまった。しかしロンは妙案を思いつく。ルパート・グリントが説明する。「それはバジリスクの牙を使うこと。以前、秘密の部屋でハリーがその牙を使ってトム・リドルの日記を破壊したことがあるけれど、あれと同じ方法だよ」
バジリスクはとっくの昔に死んだが、その遺骨は残っており、牙もついたままだ。ロンとハーマイオニーはさっそく秘密の部屋に入った。室内のようすはシリーズ2作目のときのままだが、白骨化したバジリスクは今回の撮影のために特別に制作された。
ロンが牙を引き抜き、ハーマイオニーがそれをカップに突き刺すと、怒りと恐怖が解き放たれ、ふたりは水浸しになる。そして無言のまま固く抱き合い、初めてキスを交わすのだ。この一瞬をファンはどれほど待ちわびていただろう。
グリントとワトソンも別の意味で、この瞬間がいつ来るのかと気をもんでいた。「エマとは幼なじみの間柄だからね。キスなんてしたら、さぞ照れるだろうと思ったよ」とグリントが明かす。「エマはあのとおりの美人だし、キスシーンの相手として不足はないんだけれど、ただ単純に想像できなかったんだ。想像しようすると、冷や汗が出てきたよ」
ワトソンも同じ不安を抱えていた。「ルパートは本当にいい友達なの。それを思うと、複雑な心境だったわ」とワトソンは言う。「きょうだいのように育ってきた相手とロマンチックなキスを交わすのは…かなり恥ずかしいものよ」
ふたりの心中を察したイェーツ監督は、キスシーンの撮影があることを前日まで伏せ、ふたりにこうアドバイスしたと言う。「ルパートとエマであることをしばし忘れて、ロンとハーマイオニーになりきってほしいと伝えたんだ。ふたりとも完全に役に入ってくれたから、結果は大成功。じつに微笑ましいキスシーンになったよ」
そのころハリーはレイブンクローの談話室に向かっていたが、途中でルーナ・ラブグッドに呼び止められる。このシーンでルーナはめずらしく強気に出るのだ。ルーナ役のイバンナ・リンチが話す。「ハリーは、ルーナの妄想話がまた始まるのかと思うの。ところがルーナは大事なことを伝えに来たのよ。ルーナは耳を貸そうとしないハリーにいらだって、大きな声を上げるわ。それにはさすがのハリーもビックリするの」
ロウェナ・レイブンクローの髪飾りを見た者は“この世”にはいない??ルーナはそれをふまえたうえで、ハリーにある人物に(正確には、ある亡霊に)会うように勧める。それがケリー・マクドナルド扮する灰色のレディだ。灰色のレディはレイブンクロー寮に出没する伝説の亡霊だが、その正体はロウェナの娘のヘレナだ。灰色のレディは髪飾りのありかをはっきりと教える代わりに、ハリーにヒントを与えた。ハリーはそれをもとに“必要の部屋”へ急行。この部屋には調度品や本など、数百年分の廃品が山となって積まれている。分霊箱は、このなかのどこかに隠れているはずだ。
美術のスチュアート・クレイグが説明する。「このセットはシリーズのなかでも最大級で、60×90メートルあまりのスペースに組みました。その大きな室内を大小さまざまな調度品が埋め尽くしている。セット・ドレッサーのステファニー・マクミランと小道具のチームは数カ月をかけて中古の家具を買い集めていました。それはもう膨大な点数ですよ」
視覚効果チームはこのセットの周囲にグリーン・スクリーンを設置し、CGを使って空間を拡大し、廃品の分量を増やした。イェーツはこの部屋を「廃品の山岳地帯」にしたかったと言う。「地平線を越えて果てしなく続く山々。それが僕のイメージだった」とイェーツは振り返る。
目ざといファンなら、この廃品の山に懐かしい調度品が混じっていることに気づくだろう。セット・ドレッサーのマクミランが明かす。「過去に使った小道具を再利用したんです。大広間のテーブルや長椅子、アンティークの机、ほうき、先生たちが座っていたスツール、チェスの駒…。あとは、スラグホーン先生の自宅のインテリアも使いました」
「これまでの作品に登場した思い出の品々が登場するんです、それもたくさんね」と製作のヘイマンが感慨深そうに話す。「だから個人的には、このセットが大のお気に入りなんです」
調度品の山のひとつは、キャストが安全によじ登れるように、装置の上に設置された。ハリーは分霊箱を求めてこの山をかき分け、そのハリーをドラコ・マルフォイが捕まえようとする。ドラコは杖を取り返すためにハリーのあとをつけていた。前作の『死の秘宝 PART1』でドラコはハリーにその杖を取り上げられたのだが、どういうわけかハリーの命を救ったのである。ハリーの正体を伯母のベラトリックスに明かそうとしなかった。
ドラコを再演するトム・フェルトンが当時のドラコの心境を分析する。「どうしてドラコはああいう決断をしたのか。本当のところは原作のなかでも明かされていないんだ。読者の想像に任せてくれるなんて、さすがはジョーだね。僕が思うに、ドラコはあのとき善人になりたいと思ったんじゃないかな。でも、しょせんドラコの体には悪の血が流れている。そこはドラコにとってはジレンマだけど、演じる僕としてはやりがいを感じたよ」
「ただのいじめっ子だったドラコは、奥の深いキャラクターに進化したの」とローリングは証言する。「トムの演技には舌を巻いたわ。ドラコの複雑な胸の内を余すところなく演じきったの。ドラコの中にこれほどの感情が渦巻いていたとは、誰も想像できなかったんじゃないかしら」
ドラコは、同じスリザリン組のブレーズとゴイルを従えて、ハリーを部屋の隅に追い詰める。しかし、この対決があらぬ事態を招く。ゴイルの杖が火を吹き、あたり一面を火の海にしてしまうのだ。大部分の炎は実写撮影のあとに合成されたCGIだが、リチャードソン率いる特殊効果チームは撮影の当日、セットのあちこちに目印となるたいまつを置いた。「火の熱気をたしかに感じ取ることができた」とフェルトンは言う。「おかげで肉眼と想像力を働かせながら演じることができたんだ」
火に包まれて逃げ場を失ったハリーは、首尾よく駆けつけてきたハーマイオニー、ロンとともに近くにあったほう
きをつかむと、それに乗って脱出しようとした。しかし、長年の宿敵ドラコをこのまま置き去りにするのか、それとも危険覚悟で助けてやるのか、二者択一を迫られる。ロンは前者を選ぶが、ハリーはそうはゆかない。グリントが撮影のようすを振り返る。「あのシーンの撮影はめちゃめちゃ楽しかった。またほうきに乗ることができてよかったよ。だって、これで“乗り納め”だからね」
これまでにも空飛ぶほうきの撮影には専用の装置が使われてきた。その装置も若いキャストの成長に伴って、あるいは高度な飛行シーンに合うように改良が重ねられてきた。装置の開発にあたった特殊効果監修のリチャードソンが説明する。「最終的には、座面つきのほうきをジンバルに取りつけるという形にしました。ほうきにまたがる俳優を安全ベルトでしっかりと固定し、座面も一人ひとりに合わせて調整しますから、たとえほうきが回転しても、振り落とされる心配はありません。ジンバルには6本の軸がついていますから、ジグザグ飛行も、直線飛行も思いのままです」
しかし、今回の撮影ではさらなるグレードアップが必要だった。3人がドラコたちを救出するシーンで“ほうきの二人乗り”を実現しなくてはならない。「あのシーンに向けては…」とリチャードソンが続ける。「新たにほうきの装置を作ってレールの上に設置し、ハイスピードで走らせました。途中、テーブルの横を通過するのですが、そのテーブルは液圧式の台座に乗っていて、タイミングよく傾いて倒れる仕掛けになっています。ほうきに乗った俳優は、テーブルの上にいる俳優の手を取ってすくい上げ、自分のうしろに乗せる。段取りはやっかいでしたが、うまくいったと思いますよ」
この難しいアクション・シーンをみごとに実演したのはキャストをはじめ、グレッグ・パウエル率いるスタントチームだ。さらにパウエルはホグワーツの歩道橋の爆破シーンも手がけ、特殊効果監修のリチャードソン、第二撮影班の演出家スティーブン・ウールフェンデンと連携した。
第二撮影班はスコットランドのフォート・ウィリアム上空から高架橋を撮影。「橋の下には美しい湖が広がり、周辺の景色も風光明媚でした」とウールフェンデンは言う。
実際に爆破したのは英パインウッド・スタジオに組まれたセットの橋だ。パウエルが説明する。「あのセットは油圧装置の上に乗っていました。爆破と同時に落下する仕掛けになっていたので、足場を失ったスタントマンが一瞬、宙に浮いて見えるんです。なかなか圧巻な画(え)になりましたよ」
その橋の上で、ネビルは死喰い人の一団と真っ向勝負に挑む。このシーンでは「見かけによらず頼もしい」ネビルの勇姿が堪能できる。シリーズを通じてネビルを演じてきたマシュー・ルイスは、この最終回で英雄としての素質を開花させるネビルを誇りに思っている。「ネビルは度胸があるようには見えないし、誉れ高いグリフィンドールの一員というタイプでもない。それでもハリーはネビルの可能性をずっと信じてくれたんだ。それがネビルの自信になって、芽吹き始めた勇者の顔がついに表に出てくる。今ではネビルも勇猛果敢な解放戦士。今まで演じてきた甲斐があったよ」
イェーツが話す。「最後には、ネビルは血まみれで、傷だらけになるんだ。それでもけっして戦うことをやめようとしない。その姿にはおおいに胸を打たれるよ」
「ハリー・ポッター。“生き残った少年”が殺されに来た」
ホグワーツを守るための戦いがあちこちで展開するなか、ハリー、ハーマイオニー、ロンの3人は別の戦争に身を投じていた??こちらの戦いには魔法界の存亡がかかっている。次の分霊箱(分霊箱のなかでも特に危険と思われる)を探してホグワーツのボートハウスにたどり着いた3人は、そこでスネイプとヴォルデモートの密会を目撃する。
製作のヘイマンが話す。「ジョーの原作を読んでいて、とくに興味深いと思ったのは登場人物の多くが白でも黒でもない、善とも悪ともつかないグレーゾーンにいることです。それは私たちも同じではないでしょうか。スネイプの過去にしても想像をはるかに超えるほどに奥が深い。その過去がすべて明かされる瞬間を、観客のみなさんも楽しみにしていると思います」
「スネイプが思惑を秘めていることは明々白々」とスネイプ役のリックマンは指摘する。「問題は、その思惑が何であるかという点だね。スネイプはどんどん深みにはまって、自らリスクを大きくしてしまった。結局、その思惑とはあがないの気持ちや忠誠心の表れであり、スネイプにとっては…あまり多くは明かせないけれども、自分の信念を貫くことなんだ」
このセブルス・スネイプとヴォルデモート卿の密会は、原作では叫びの屋敷でおこなわれることになっている。しかしイェーツ監督はローリング本人の了解を得て、このシーンの舞台をボートハウスに変更した。
ボートハウスのセットは英リーブスデン・スタジオにある飛行機の格納庫に設置された。それは湖のほとりに建ち、真上にはホグワーツ城があるという設定だ。美術のクレイグはボートハウスの壁をチューダー式のガラス張りにした。「そうすれば外では戦闘が続いていることが分かりますから。ガラスや水面には火の手が映ります」
水面には過去も映る。ダンブルドアの執務室にあるペンシーブ(水盆)は人の記憶を映し出す。ペンシーブを覗いたハリーは自分がなすべきことを自覚した。ダニエル・ラドクリフが言う。「『不死鳥の騎士団』でハリーはある予言を知ったんだ。“ひとりが死ななければ、どちらも生きることはできない”という内容の予言をね。それ以来、ハリーはどこで何をしていても、予言はいつか現実になると思ってきた。そしてその日が今日だと確信するんだ」
「ハリーは分かっているんです―自分の運命とヴォルデモートの運命が交錯していることを。自らヴォルデモートに立ち向かわなければ、周囲の人が命を落とす。そう悟ったハリーは運命に甘んじようと覚悟を決めるんです」と製作のヘイマンが指摘する。「ダニエルはみごとでした。クライマックスでは、あの若さにもかかわらず、思慮深く成熟した演技を見せてくれましたよ。ダニエルはハリーの行動の裏にある感情や目的を十二分に理解している。だからこそ迫真の演技ができたのでしょう」
イェーツが話す。「これ以上の犠牲者を出さないために、ハリーは決戦の場に向かってひとり歩いていく。あのシーンは僕のお気に入りのひとつなんだ。ハリーの決意は美しくもあり、痛々しくもある」
「さあ、トム。これで終わらせよう……一緒に」
ついに最終対決のときを迎えたハリーとヴォルデモートは「お互いの原点ともいうべき場所に戻ってくる」とローリングは説明する。「最後の舞台はホグワーツ以外には考えられなかったわ」
ふたりは、かつて神聖な場所だったホグワーツの校内で激しいバトルを展開する。イェーツが演出したこの決闘は、ふたりの魔法使いによる魔法対決にとどまらない。むしろ天敵同士が繰り広げる死闘という趣だ。この戦いに決着をつけるなら、一方が、あるいは両方が絶命しなければならない。
イェーツが明かす。「ふたりは廊下を走りながら互いに向けて呪文を放つんだが、杖だけではなく拳も交えるんだ。相手の胸ぐらをつかんで階段から落ちたり、床を転げながら取っ組み合ったり……。どこまでやれば勝負がつくのか、見当がつかない。ふたりには体と体を直接ぶつけ合ってほしかったんだ。そこに象徴されるふたりのつながりは、シリーズをとおして育んできた大切なテーマだからね」
スチュアート・クレイグ率いる美術チームは、さまざまな演出を可能にする“主戦場”を用意した。「どうすれば決闘の見せ方に変化をつけることができるのか―それがいちばんの課題でした」とクレイグは振り返る。「イェーツ監督も交えてセットのデザインを検討した結果、長い階段を建設することにしました。一方が階段を駆け上がり、もう一方が駆け下りるというアクションも同時進行できますし、昇る、降りるという動作は瞬時に切り替えることができますからね」
「あんなにたくさんの階段を昇ったのは生まれて初めてだったんじゃないかな。でもいい運動になったよ」とラドクリフは笑う。
ハリー・ポッターの世界は実写とCGIの組み合わせによって構築されてきたが、ホグワーツを舞台にした一連の戦闘シーンではその両立が、ことのほか重要になった。ホグワーツ城の外観に、模型よりもデジタルを多用したのは今回が初めてだ。
イェーツがその理由を説明する。「いつものようにミニチュア版のホグワーツも使ったけれど、今回はデジタル版のホグワーツも用意したんだ。その甲斐あって、ホグワーツの好きなところで、好きなようにアクションを演出することができたよ」
死闘を繰り広げているのはハリーとヴォルデモートだけではない。ふたりの周辺では、魔法界が善と悪とに分かれて総力戦を展開し、大小のクリーチャーを巻き込んでの全面戦争に突入していた。両軍のメンバーには、おなじみの面々に加えて懐かしい面々が多数含まれている。
製作のデイビッド・バロンが話す。「歴代の出演者がほぼ顔を揃えてくれて、本当に感激しました。出番の短い人もいますが、とにかく登場することに意義がある。非業の死を遂げたキャラクターも意外なところで姿を見せます。ゲイリー・オールドマン扮するシリウス・ブラック、マイケル・ガンボン演じるダンブルドアも登場しますよ」
また、ロビー・コルトレーン演じるルビウス・ハグリッド、エマ・トンプソン演じるシビル・トレローニー先生、ジム・ブロードベント演じるホラス・スラグホーン先生、ミリアム・マーゴーリズ演じるポモーナ・スプラウト先生、ジェマ・ジョーンズ演じるマダム・ポンフリー、デイビッド・ブラッドリー演じるアーガル・フィルチ、ジェイソン・アイザックス演じるルシウス・マルフォイ、ヘレン・マクローリー演じるナルシッサ・マルフォイ、ナタリア・テナ演じるニンファドーラ・トンクス、デイブ・レジーノ演じるフェンリール・グレイバックも顔を見せる。
死喰い人を相手に戦う代償は、ことのほか大きい。愛すべき魔法使いたちが次々と犠牲になっていく。そして、ベラトリックス・レストレンジがジニー・ウィーズリーを手にかけようとしたその瞬間、モリー・ウィーズリーがベラトリックスの前に立ちはだかる。
ウィーズリー家の頼もしい母親モリーを演じてきたジュリー・ウォルターズが話す。「ベラトリックスは『おばさん、かかっていらっしゃい』という感じでモリーをばかにするわ。だけど、子供を守ろうとする母親がどれほど強いものか分かっていないのよ」
母性愛の強さはシリーズを貫くテーマのひとつだ。たとえば、ハリーの母親リリー・ポッターは身をていして我が子を守った。そのおかげでハリーは「生き残った少年」として成長できたのだ。ローリングが語る。「このシリーズを書き始めて半年後に母を亡くし、それからまもなく私自身が母親になったの。個人としても、作家としても母性は大きなテーマだったわ。だから、このストーリーにも自然と反映されたんでしょうね」
ヴォルデモートからハリーの生死を確かめるように命じられるシーンで、ナルシッサ・マルフォイは、子を思う気持ちに善人も悪人もないことを示してみせる。「ナルシッサはレストレンジ家に生まれ、マルフォイ家に嫁いだけれど、彼女の身上は、あくまでも“息子思いの母”なの。ナルシッサは命をかけてドラコを守ろうとしている。だから何にもまして、ひとりの母親なのよ」(話者不明)
それにひきかえ、ヴォルデモートは「愛や友情や思いやりの価値をまったく理解しない」とラドクリフは分析する。「そんなものは弱者のたわごとだと思っているんだろうね。でも、そういう考えこそがヴォルデモートの弱点なんだ」
戦争の犠牲者は魔法界の住人だけではない。ホグワーツ魔法魔術学校もしかりだ。重厚なたたずまいは、いまや見る影もなくなった。見境もなく破壊されたかのように見えるホグワーツだが、それもデザインのうちと美術のクレイグは言う。「ただやみくもに壁を崩せばいいというわけにはいきません。その残骸にも芸術性が求められました。たとえば、大広間はホグワーツを象徴する部屋。その重要な部屋を無残な姿に変えるとなれば、観る人の記憶に焼きつくようなビジュアルにしなくてはならないと考えました」
「そこに象徴されているのは戦争のむごさ。戦争は安心と安全のよりどころを奪い去ってしまうの」とローリングは指摘する。「たしかに建造物が壊れるだけのことかもしれない。けれども、それが自分の家であれば、なにもかも失うことになるわ」
大広間は、数あるセットのなかでも最大級にして最古のセットだ。「ハリー・ポッター」シリーズが始まって以来、英リーブスデン・スタジオに常設されてきた。そのなじみ深いセットが、がれきの山と化すようすは、キャスト、スタッフに少なからぬ衝撃を与えた。
ラドクリフが話す。「見るに忍びなかったよ。あんなに大きくて頑丈なものが一瞬にして崩れていったからね」
「ものすごくショックだった」とグリントも言う。「僕はあのセットで育ったようなものだから、無残な姿になっていくのを見るのはつらかったよ」
「形あるものが次々に消えていくのは悲しかったわ。心のどこかで永久に存在してくれると思っていたのかもしれない」とワトソンはしんみり語る。
シリーズの初作から製作を担当してきたヘイマンは、ホグワーツのセットの建設にも立ち会っていた。「威厳をたたえたホグワーツが壊れていくのを目の当たりにして、胸が痛くなりました。それと同時に、このシリーズもいよいよ終わるんだと実感させられました」
万感の思いがこみあげてきたのはキャストもスタッフも同じだった。毎日の撮影は“これが最後”の連続だった。そして、いよいよ撮影自体も最終日を迎えた。
10年がかりで映画史上に残るシリーズを終えた今、制作にかかわった誰もが感謝と誇りの気持ちを口にする。 製作のデイビッド・バロンは「心の準備はできているはずでした。いつか終わりが来ることは、みんな分かっていましたから。でも、いざ終わってみると想像以上に感慨深いものがあります。誰もがこのシリーズに心血を注いできましたからね。今回は、シリーズのフィナーレにふさわしい作品にしようと全員で誓ったんです」
「人生に別れはつきものだからね」とアラン・リックマンは言う。「何事にも幕を引くときはかならずやって来る。そうしないと、人は前には進めない。ひとつ言えるのは、この作品が有終の美を飾るにふさわしいということかな」
ルパート・グリントが話す。「ロンを演じたことは、かけがえのない経験さ。一生の思い出になると思うよ。このシリーズに参加できたことを心から誇りに思っているんだ」
「どう言ったらいいのかしら……」とエマ・ワトソンが言葉を探す。「この仕事は生活の一部になっていたから、改めて振り返ったことがないの。でも、このシリーズに加われたことに本当に感謝しているわ」
ダニエル・ラドクリフがコメントする。「もし全作品を観直す機会があったら、いろいろな思い出が蘇ってくると思う。このシーンはいつ、どこで、誰と一緒に撮影したのか、すぐに思い出せるだろうね。自分にとってこの10年がどういう意味をもつのか。それを具体的に語ることはまだできないけれど、たしかに充実した10年間だったよ。こういう時間は二度と手に入らないんじゃないかな」
監督のデイビッド・イェーツが振り返る。「言葉にするのは非常に難しいけれど、楽しかったことは確かだね。煮詰まったり、悩んだりしたときもあったけれど、それでも楽しいと“思わなかった”ことは一度もないんだ。何物にも代えがたい経験になったし、シリーズの最後を見届けることができて、ありがたく思っている」
「一連の作品はチームワークのたまもの」とJ.K.ローリングは言う。「映画界の才能豊かな人たちとご一緒できたこと、そして信頼関係を築けたことは私の自慢なの。このシリーズに関わった経験は宝物だわ」
製作のデイビッド・ヘイマンが締めくくる。「全作品を担当することができて、私は本当に果報者です。ですが、そのチャンスもジョー・ローリングがいなかったら、あのみごとなストーリーがなかったら、けっしてめぐっては来なかったでしょう。この原作に惚れ込んだのは、いつの時代にも通じる物語だからです。そんな原作の持ち味をスクリーンを通して感じていただけたら本望です」
【プロダクション・ノート】
プロダクション・ノート1
プロダクション・ノート2
プロダクション・ノート3
(End)
|