地球の上空600キロ。
温度は摂氏125度からマイナス100度の間で変動する。
音を伝えるものは何もない。
気圧もない。
酸素もない。
宇宙で生命は存続できない。
「私はずっと前から宇宙と宇宙探査に強く惹かれていたんだ」と語るのはこのスペース・サスペンス・エンターテイメント『ゼロ・グラビティ』の監督アルフォンソ・キュアロン。彼は本作で監督だけでなく、脚本を共同で執筆し、製作と編集も務めた。彼はこう続ける。「自分自身を母なる地球から切り離すというアイデアには、ある意味、どこか神話的でロマンチックなものがある。だが、この地上で生きているのに、わざわざ宇宙に出ていくなんて、多くの点で理屈に合わない」
今この瞬間にも、地表から数百キロの軌道を回りながら、生死の境目が非常に小さい場所で働いている人々がいる。人類が初めて地球の大気圏を越え始めて以来、宇宙飛行特有の危険はどんどん増している……そしてその高まる危険は人間によるものだ。過去のミッションでの廃棄物や、運用停止の衛星によって、“デブリ”(“破片”の意味;“宇宙ゴミ”とも呼ばれる)が多い領域(デブリ・フィールド)を作り、一瞬のうちに惨事を引き起こし得る。アメリカ航空宇宙局(NASA)はその事態を想定し、“ケスラー・シンドローム”という名称まで付けている。
本作でキュアロンとともに製作を務めたデイビッド・ヘイマンはこう語る。「それは現実の問題なんだよ。宇宙でネジ1本でも、何かの欠片ひとつでも落としたり、残したりすれば、それはすべてものすごいスピードで周回し、もし、それらが衝突すれば、さらにデブリが増える。それは宇宙飛行士にとっても宇宙船そのものにとっても非常な脅威であり、おそらく地球の我々にとっても同じだ」
本作に新人宇宙飛行士ライアン・ストーン役で主演したサンドラ・ブロックは、そのデブリの脅威にもっとも影響を受ける人々からそのことについて聞いた。ブロックはこう語る。「以前は、宇宙飛行士のことを、スリルと冒険が欲しいから宇宙へ出ていくんだと思っていたのよ。でも、実際に宇宙飛行士たちと話したとき、彼らの世界に対するとても深い愛情と、地球の海や山、街の灯りなどを宇宙から見ている彼らの視点からの地球の美しさに強く胸を打たれたの。この広大な宇宙で私たちがどれだけちっぽけな存在か。それに改めて気づくのはすごいことだった」
ブロックと共演したジョージ・クルーニーは、こう付け加える。「僕はいわゆる宇宙開発競争時代に育ったんだ。あの時代に影響を受けたひとりだ。だから僕は宇宙探査というものにつねに憧れを抱いてきたし、実際にそれをやってのける人々を深く尊敬している。彼らはまさに最後の偉大なる開拓者たちだ」
だが探査すれば影響も出る。それについてブロックはこう語る。「この地球の破壊だけでなく、私たちには見えないもの、つまり、遥か頭上を文字どおりぐるぐる回っているゴミのことを考えると、とてもつらいわ」
その“宇宙を回っているゴミ”という前提が、本作での命を懸けた壮絶な戦いのきっかけとなり、荘厳で人を寄せつけないような宇宙空間の中に観客を引き込んでいく。
本作は、地球の大気圏外の静かな深淵で始まる。そこでは、シャトル“エクスプローラー”が軌道を回っている。ミッション・スペシャリストのライアン・ストーン博士は、ロボットアームにベルトで固定され、ハッブル望遠鏡に新しいスキャン・システムを設定しようとしている。無重力――ゼロ・グラビティ――にストーン博士は明らかに慣れていない。そんな彼女とまさに対照的なのが、見るからにくつろいでいるミッション・コマンダーのマット・コワルスキーだ。クルーニー演じるコワルスキーにとって、これは最後の宇宙での任務であり、新型ジェットパックの性能を楽しげに試している。それを使うと、通常の船外活動で使われるテザー(命綱のワイヤーケーブル)に制限されずにシャトルの周囲を飛び回れるのだ。
一方、彼らの位置とは反対側の地球の軌道上では、使われなくなった衛星が故意に破壊され、その鋭利な破片が宇宙にまき散らされてチェーン・リアクションを起こし、どんどん大きくなるデブリ・フィールドとなってエクスプローラーへものすごいスピードで迫ってくる。そして回避不能の衝突によってシャトルは壊滅的なダメージを受け、ストーンとコワルスキーだけが生き残る。ヒューストンの管制センターとの交信は断絶……そして、救出される可能性も断ち切られる。果てしない宇宙空間の中を漂いながら、もし地球に戻るつもりがあるのであれば、ふたりは自分たちの限界を超越し、この無重力空間から脱出する方法を見つけなければならない。
本作の脚本は、アルフォンソ・キュアロンと息子ホナスによる、公式には初のコラボレーションである。「私はホナスのアイデアにインスピレーションを受けたんだ」とキュアロンは言う。「ホナスが考えたのは、キャラクター1人だけの視点で絶体絶命の状況を描いており、私はそのテンポのよさにとても興味をもった。だが、その舞台を宇宙に置くことによって、そのストーリーはもっと広がりをもち、計り知れない隠喩的な可能性を秘めることができた」
ホナスはこう付け加える。「父も僕も“宇宙”というコンセプトが面白いと思った。簡単に生き延びられる方法はなく、“故郷”と呼べる場所からものすごく離れている。だから、逆境を克服し、脱出する方法を見つけなければならない状況を描いた映画の舞台としてはピッタリだったんだ。僕たちはまた、現実味のあるストーリーにしたかったので、説得力のあるシナリオを練るためには、徹底的なリサーチによって宇宙探査についてよく知ることが絶対必要だった」
キュアロンは早い段階で、プロデューサーのデイビッド・ヘイマンに協力を求めた。キュアロンとヘイマンは以前、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』で組んでいる。ヘイマンは、キュアロンと再び組む機会を大いに楽しんだと言う。「彼に協力を求められて、とても光栄だった。アルフォンソは偉大なフィルムメーカーのひとりであり、計り知れないほどの創造性と想像力をもつ人物。彼は人を奮い立たせ、彼の周囲にいる者は誰でも、もっと向上しよう、もっと腕を磨こうと思うんだよ」
「この脚本で私がとても気に入ったのは、それがある意味では“ジャンル映画”でありながらも、それ以上のものがたくさんあったからだ」とヘイマンは続ける。「そんな作品に私が飛びつかずにいられるわけがない!でもその後、この映画作りに伴う実際的な問題が分かってきたんだ」
フィルムメーカーたちはまもなく気づいた。全部が無重力で展開するストーリーを描くには、映画制作の限界を押し広げなければならないということに。「正直なところ、私は少し考えが甘かったね。この映画は、もっとシンプルに作れると思ったんだ」とキュアロンは認める。「もちろん、ある程度の特殊な技術が必要になるとは分かっていたが、従来の技術を試し始めてようやく、自分が思い描くようにこの映画を作るには、完全に新しい技術を創り出さなければならないと悟った」
それを実現させるため、キュアロンは撮影監督のエマニュエル・ルベツキ、通称“チーボ”と、フレームストア社の視覚効果監修ティム・ウェバーをチームに引き入れた。「ほんとうに最初から、チーボ、ティム、そして私は、実際にカメラを宇宙に持っていったようにすべてを見せようと決めた。宇宙で撮影できれば最高だったけど、それはもちろん、ちょっと実行が難しいからね」とキュアロンはにっこり笑う。
簡単に言うと――実際は何も“簡単な”ことはなかったのだが――フィルムメーカーたちが目指したのは、いわゆる“SFファンタジー・ワールド”のようなものではまったくなく、人類が知っている中でももっとも過酷な環境に取り残されたという厳しい“現実”を描くことだった。
そして、その目標は、それを達成しようとするなかで、結果的に映画制作の手法を変える“ゲーム・チェンジャー”となった。
フィルムメーカーたちが考案したのは、完全に説得力があり、そしてまさに本能的な意味で、宇宙にいるという“錯覚”を生み出すシステムだった。
ウェバーは、その錯覚を正しく実現させる唯一の方法は、完全にバーチャルの環境を創ることだとキュアロンに提案していた。キュアロンはこう思い返す。「最初、私はそのことに懐疑的だったんだ。この映画をできるだけ実際のものを使って作りたかったからね。だが、さまざまな技術を試した結果、ティムが正しいことがはっきりした」
その結果、本作は実写とコンピューター・アニメーションとCGIが組み合わされた作品となり、セット、背景、さらには衣装まで、コンピューターで創り出された。
宇宙にいるという感覚を伝えるうえで決定的な要素は、無重力の再現だった。キュアロンが流れるような長いショットを好むことを考えると、定石である従来のワイヤーで俳優を吊るす方法は使えなかった。また、“嘔吐彗星(ボーミット・コメット)”――上昇後に急激に落下し、無重力状態をわずかな時間、作り出すことができる航空機――という、まさにふさわしい名前がついた航空機の中で軽減重力の放物線飛行を使うことも適切ではなかった。その点をキュアロンはこう説明する。「ワイヤーを使うと、俳優の体に対する圧力が分かってしまう。重力がすべてを下に引っ張っているからね。そして嘔吐彗星は、ほんの数秒間のショットだけに有効であり、しかも、誰もがそれにうまく対応できるわけではない」
その代わり、彼らはいくつかの革新的な技術を組み合わせて、キャラクターたちを――そして、ひいては観客を――息をのむような宇宙空間へ連れていったのだ。ワイヤーも使われたが、ベテランの特殊効果監修であるニール・コーボールドと彼のチームは、12本のワイヤーを使ったユニークな装置を考案し、熟練パペッティア(操り人形師)の助けを借りて、特定のシークエンスでサンドラ・ブロックを“浮かせる”ことを可能にした。
ほかのシーンでは、中に固定された俳優たちを回転させたり、さまざまな角度に傾けたりできる特殊な装置を使用。キュアロンと撮影監督のルベツキは、自動車製造で使われるタイプの巨大なコンピューター制御ロボットアームに搭載したカメラで、より極端な角度から俳優たちを撮影することができた。
本作のために考案された新しい装置の中でももっとも独創的なのは、ルベツキとウェバーが考え出した“ライトボックス”と名づけられたものだろう。キューブ状の空洞に似たこの装置の内部の壁は、大きく平らなパネルでできており、それぞれに無数の小さなLED電球がはめ込まれていた。ライトボックスの目的は、その名が示すように、シーンに応じて適切な照明をキャラクターにあてることだった。例えば、ライアン・ストーンがなすすべもなく宇宙空間の中を回転していく緊迫したシーンも、通常の照明ではあの効果は決して得られなかったはずだ。
照明、ロボットに搭載されたカメラ、そして角度を変えられる装置はすべて、コンピューター制御で同期させることができ、それによって、キュアロンたちは基本的に俳優の周りで宇宙を動かすことができた。そうすることによって、キャラクターたちが宇宙空間の中を動いているという印象を与えたのだ。この“宇宙空間の中を”というのは重要な意味をもつ。
本作は最初の段階から、3D映画体験のための作品として想定されたものだ。脚本のホナス・キュアロンはこう語る。「この映画を3Dで作るというのが僕たちが最初から考えていたことなんだ。観客に、ストーリーと同様に映像にも完全に入り込んでもらいたかったから」
とはいえ、アルフォンソ・キュアロンはこう強調する。「だが、物が飛び出してくるのを見せるために3Dにしたかったのではないよ。私たちはできるだけさりげなくしようとした。観客に自然にこの“旅”の中に入り込んでいると感じてもらえるように」
このように、『ゼロ・グラビティ』のためにはさまざまな革新的な技術が開発された。だが、キャストとフィルムメーカーにとって、変わらずにもっとも不可欠だったのは、ストーリーの核心にある個人的な“旅”だった。とくに重要なのが、映画の大部分を1人で過ごすライアン・ストーンの旅だ。
ライアンを演じたブロックはこう語る。「これは、トンネルの先に光がなさそうなときに、何が私たちにさらなる努力をさせるのかということを描いたストーリーじゃないかしら。もしかしたら努力する価値があるかもしれないから、もう少しだけ進んでみようと私たちに思わせるのは何?」
「このストーリーは、喪失感を抱え、感情が麻痺した状態から、生きる目的と理由を再発見する心境になるまでのひとりの女性の旅だ。彼女はそこから生き延びるために闘うんだ」と製作のヘイマンは付け加える。
そしてホナスはこう語る。「だから、僕たちにとって“重力(グラビティ)”というのは単に人の足を地に着けておくためのものではなくて、人々をつねに故郷に引き戻す力なんだ」
キュアロン監督も同感だ。「全編を通して、美しく、育む場所としての地球が絶えず見えている。そしてその上を漂っている女性は、自分から母性を切り離している。私たちは、宇宙という環境の中で、ひとりのキャラクターを通してどれだけアレゴリー(比喩)を表現できるかを追究したかったんだ。彼女は、生命があり、人間が暮らす地球から遠ざかり、空虚な心を抱えたまま、ぐるぐる回りながら宇宙空間の奥へどんどん入っていく。これだけのツールやエフェクトを使いながらも、私たちにとってつねにはっきりしていたのは、ライアンの葛藤は、人生における逆境を克服し、そこから歩み出さなければならないどんな人のメタファー(暗喩)にもなるということだった。それが再生のための旅なんだ」
「ヒューストンへ、一方通信。
ストーン博士と、コマンダーのコワルスキーのみがSTS-157の生存者だ」
−コワルスキー
本作のほとんどどのフレームにも登場するライアン役のキャスティングを考えるうえで、アルフォンソ・キュアロンには、この役の身体的および心理的な要求の両方――どちらも同じように過酷――をこなせる女優がどうしても必要だった。彼はそのライアンというキャラクターをサンドラ・ブロックに見いだした。製作のデイビッド・ヘイマンはブロックを、「人気・実力のまさに絶頂にあるすばらしい俳優」だと表現する。「この映画での彼女はまさに迫真の演技を見せ、説得力にあふれている」
ミッション・スペシャリストのライアン・ストーンは映画の冒頭では、自分の仕事に没頭している。目の前の任務に集中し、ほかの宇宙飛行士たちと、ヒューストンの管制センターとの間で交わされている楽しげな会話に加わろうとしない。マット・コワルスキーの果てしなく続く誇張された話――ヒューストンの人々は何度も聞かされている――でさえ、ハッブル望遠鏡に新しいスキャン・システムを設定しようとしているライアンの気をそらすことはできない。だが、彼女の集中力と、任務以外のことへの無関心さは、仕事熱心だからというのではなく、彼女の身に起きた悲しい出来事によるものだった。
「ライアンは喪失感に打ちひしがれていたのよ」とブロック。「このキャラクターについて研究し始めたとき、私は自分ならどうするだろうかと自問し、おそらく彼女とまったく同じことをするだろうと思ったの。彼女は自分の殻に閉じこもった。アルフォンソとライアンについて話し始めたときから、彼と私は彼女を同じように理解し、また、同じ疑問を抱いていることがはっきりしていたの。人は悲劇に見舞われたとき、ほかの人たちと一緒にいることで救われるかもしれないのに、なぜ自分の殻に閉じこもってしまうのか?人生の苦難にぶつかりながらも、助けを求めようとしないことはどれくらい多いのか?ある意味、ライアンが体験していることは、よく言われる『願い事をするときは気をつけて。かなってしまうかもしれないから』という言葉の説得力のあるアレゴリー(比喩)なのよ。彼女は独りでいることを望み、実際にそうなってしまう」
「この映画の大きなテーマのひとつが孤立という要素なんだ」とキュアロンは説明する。「だが、俳優にとっては、映画のかなりの部分を、ほかの人間と絡むことなく自分ひとりで背負うのはとても怖いものにもなり得る。サンドラと私はバランスを見つけるためにあれこれじっくり話し合った。ライアンが何を言い、何を言わないか、ライアンの感情をどの行動によって表現するか、そういうバランスについてだ。ライアンにはある程度の曖昧さが必要だが、彼女の心情はしっかりつかまなければならないという点で私たちの意見は一致した。サンドラは、ライアンを演じるうえで必要なことを導き出すために、このキャラクターのかなり暗い側面まで突っ込んで考えたと思うよ。サンドラの役への打ち込み方にはほんとうに感激したし、ものすごく有り難かった」
ブロックのほうも監督に対する称賛を惜しまない。「ひとつのキャラクターを創り上げるうえで、あれほどのコラボレーションは初めての経験だった。私はずっと前からアルフォンソを尊敬していたんだけど、彼と実際に組んでみると、すべてが期待以上だったの。彼はまさに名フィルムメーカーであり、すばらしいコラボレーター。彼のために自分の最高のものを出したいと周囲の者全員に思わせる人なの。それに人間としてもほんとうにすごい人……だって、感情的、哲学的、そして精神的な思い入れが強いからこそ、あれだけ奥深い作品を作れるのよ」
ライアンというキャラクターには、ブロックと監督との会話を通して発展した側面もある一方で、変わらない要素がいくつかあった。そのひとつが、ライアンが女性だという点だ。ホナス・キュアロンはこう語る。「この映画の主人公が女性であることは、最初の段階からとても重要だった。なぜなら、母なる地球を背景に、彼女が母性をもつ存在であることは控えめながらも不可欠な相関関係があったからだ」
また、アルフォンソとホナスの脚本家コンビにとっては、ライアンを、科学的な専門技術を生かすために宇宙に送られた新米宇宙飛行士にする必要があった。「もちろん、ライアンもいくらかの訓練は受けていた」とホナスは言う。「でも、彼女は特殊な任務を担うミッション・スペシャリストであり、パイロットではないので、シャトルが破壊されたときは、それほどの極限状況に対処する心構えができていないんだ」
アルフォンソはこう考える。「逆境というものは、その人物を居心地のいい場所から引っ張り出す。ライアンをその状況に置くため、私たちは彼女を宇宙飛行を初めて経験するという設定にする必要があった。だが、ストーリーのほかの部分を成り立たせるために、私たちは彼女のよき指導者的存在――彼女をその状況で導き、何をすべきかを見極める手助けができる人物――も必要だと考えたんだ」
本作においてその指導者であるマット・コワルスキーを演じたジョージ・クルーニーは、この映画に出演したいと思った理由はいくつもあるが、まずは脚本だったと言う。「僕はこの脚本がとても気に入ったんだ。俳優が映画に出たいかどうかを決める第一の理由は脚本だからね。それに僕は、マットというキャラクターが気に入った。演じるのが楽しそうだと思ったんだよ」
クルーニーはさらに続けて、本作は彼が非常に尊敬する2人の人物と組むチャンスだったと語る。「サンディと僕はずっと昔からのいい友達なんだが、共演にふさわしい作品にこれまで出会わなかったんだ。彼女のことを僕はほんとうに尊敬しているので、今回の共演者として彼女以上のパートナーはいなかった。それに僕はアルフォンソ・キュアロンをもっとも興味深く、才能豊かな監督のひとりだと思っているんだ。『トゥモロー・ワールド』は傑作だと心から思ったし、彼とは前から組んでみたかったんだよ。だから、この作品に関するすべてが僕にとって最高の機会に思えたし、参加できて誇らしかった」
キュアロンはクルーニーが演じたマットについて、「ライアンと対になるキャラクター」だと説明する。「マットは宇宙という環境においてもとてもくつろいでいる。ライアンが人をシャットアウトしているのに対し、マットはとても開放的だ。もし宇宙に行くとすれば、マットみたいな人物と行きたいと思うはずだよ」
本作のセットにいた人々もクルーニーに対して同じ気持ちを抱いたようだ。「ジョージは生命力そのものなの」とブロック。「多くの点で、彼はマットと似ているわね。マットは、一瞬一瞬を大切に生きている人。宇宙という、とても見晴らしのいい場所から地球を見ることを何よりも愛しているの。でも、ジョージの魅力はあの顔だけじゃなくて、声もなのよ。『この人は私の友達』だと思えるような声なの。彼は昔からそばにいてくれて、きっと全部うまくいくと信じさせてくれるような人なのよね。ちょうどライアンにとってのマットみたいな存在。だから、ジョージと一緒に仕事をするのはそんな感じ……ただし、彼がイタズラを始めると、一瞬たりとも油断できなくなるけどね」とブロックは冗談めかして言う。
実際、クルーニーのイタズラ好きはハリウッドの語り草になっているが、本作の撮影では技術面での制約によって、そのイタズラは“一時的に禁止”にせざるを得なかった。「撮影のあらゆる要素がすでにきっちり決まっていたので、その範囲内で行動する自制心のようなものが求められたんだ」とクルーニーは言う。「だから、僕はアルフォンソをはじめとする、ものすごく頭のいいスタッフの手に自分を委ねたんだよ。でも、サンディとの共演でそれも楽しいものになったので、セットではもう笑いが絶えなかった」
製作のヘイマンはこう語る。「サンドラもジョージも、ちょっとブラックなユーモアセンスの持ち主で、いつもやり合って楽しんでいた。セットでは誰も彼らのからかいから逃れることはできなかったよ。あのふたりと組めて、とても楽しかった。彼らは完全に役に打ち込み、計り知れない才能をもっているだけでなく、セットの誰に対してもつねに敬意をもって接する。人間的にもほんとうにすばらしい」
「どうやってここに来たの?」−ライアン
「それが奇想天外の話なんだよ」−マット
ビジョン実現へのプロセス
俳優の演技とは別に、本作のほとんど全部がCGI/コンピューター・アニメーションと実写映像の継ぎ目のない融合によって達成された。それには、人間とマシンの完全な調和が必要だった。
本作の制作過程は、“プリビズ(previs)”――“プリビジュアライゼーション(previsualization)”の略――で始まった。プリビズとは、俳優の立ち位置からカメラ・アングル、照明、さらにデザインまであらゆる要素を含め、映画全体をコンピューター上で綿密に計画することである。
視覚効果監修のティム・ウェバーはこう説明する。「通常なら、プリビズはごく基本的なものでもいいんだが、この映画の場合、僕たちはそれを徹底させたんだ。すべてのショットを極めて詳細に計画する必要があったんだよ。というのも、非常に多くの部分がコンピューター・アニメーションで描かれることになるから。だが、ここで重要なのは、CGアニメの部分は完全にフォトリアル(写実的)に見えなければならなかったという点だ。これはマンガでも、SFファンタジーでもない。すべてが現実に起こっているように感じられなければならなかったので、ひとつのショットですべての要素がまとまったときにどんなふうに見え、どんなふうに動くのかについて、正確に把握しておく必要があった。キャラクターとカメラ用には、キーフレーム・アニメーション(動きの要所を先に描く方法)を主に使ったが、それとは別に、アルフォンソにカメラを渡して、カメラのモニター上でバーチャル映像を観られるようにした。彼は動き回りながら、ショットを構成でき、映画のすべてのアクションを組み立てていくことができたんだ」
キュアロンもこう語る。「この映画では、実写部分をアニメーションと融合させなければならなかったので、アニメーションを使う場合の通常の自由さはなく、実写部分はプリビズにおいて事前にプログラムされた要素によって制限された。それでもティムは私たちにできる限りの自由を与えようとしてくれたが、ほとんどの場合、あるショットの構成をいったん決めたら、それが最終決定になった。技術的なプロセスの関係で、アドリブやその場での変更ができる幅はとても小さかった。そのため、サンドラとジョージにとってはさらなるチャレンジになったが、彼らの演技を見れば、そんな制約などを感じる人はいない。それこそ、彼らがどれほどすばらしい俳優かという証拠だよ」
シニア・アニメーション監修のデイビッド・シャーク、アニメーション監修のマックス・ソロモン、そして彼らのチームもまた、実写とコンピューター・アニメーションの融合、さらに、一度浮き上がった物は決して落下しないという無重力の法則を考慮しなければならなかった。「僕たちがアニメーションを作るとき、重力による動きの弧を考えるのが当然になっていたので、今回は新たに物理を学び直さなければならなかったよ」とシャークは言う。「とにかくそれまでの知識をいったん忘れることにした。無重力状態では、例えば何かが回転しているとすれば、それはほかの物にぶつかってその回転が変わるまでは永遠に回り続けるんだ」
「宇宙では、上昇、下降というものがないんだ」とキュアロン。「アニメーターたちは、通常の因果の法則がこの映画には当てはまらないことを充分に理解するために、いろいろ新たに学ばなければならなかった。彼らだけでなく、私たち全員にとって、この映画の制作はとても勉強になったよ」
その“学習”過程でアニメーターたちが使ったツールのひとつが、“ラグドール・シミュレーション”と呼ばれるものだ。それについてソロモンが説明する。「それはグニャグニャしたキャラクターで、仮想空間の中で放り投げると、体がどういうふうに動くかをシミュレーションできるんだ。無重力でキャラクターがどう飛ぶかを理解するのにとても役立ったよ。ただ、人間はラグドールじゃないから、役に立たない点もあった。人間にはほかの物に反応する手足があるからね」とソロモンは笑う。
プリビズの制作段階で、キュアロンと撮影監督のエマニュエル・ルベツキは、今やキュアロンの特徴となった長回しのショットを創ることもできた。その最たる例が、荘厳な宇宙を背景に、ライアン・ストーンとマット・コワルスキーを紹介する冒頭のシークエンスだ。
「アルフォンソは最初から、とても長い、途切れのないシーンを盛り込みたがっていた」とルベツキは説明する。「それは僕たちがやったほかの作品ではうまくいったが、この映画は僕にとって初めての“バーチャル撮影”だったんだ。どうなるかと思ったが、これだけの量のCGを使うことによって、僕たちはその長回しのシーンというアプローチをさらに極限までもっていけることが分かった。そのお陰でできるようになったのが、“イラスチック・ショット(弾力性のあるショット)”と名づけたもので、客観的なワイド・ビューから、サンドラの顔の超クローズ・アップへ、その後、彼女のヘルメットの中に入り、主観的なPOV(キャラクターの視点)アングルへ移行し、その後また外に出てより客観的なショットへ……。それによって観客は閉所恐怖症を起こしそうな感覚を覚え、サンドラ演じるライアンが体験していることをより深く理解できる」
ウェバーはこう付け加える。「アルフォンソはカメラの能力をうまく使って、仮想空間の中で漂い、異なる速度で回転した。キャラクターたちがぐるぐる回るなかで、カメラは彼らの上、下、周囲から撮影できたんだ。ああいう長いショットの場合はとくに、それによってすべてが流れるように映し続けることができたし、通常はしないような動きをカメラにさせる機会もたくさんあった」
ライトボックス
プリビズを制作する過程でフィルムメーカーたちは、対処すべき問題がほかにもたくさんあることを悟った。そのいくつかでは、彼らがこんなふうにストーリーを描きたいと思っていること自体に、技術を追いつかせなければならなかった。そして、撮影監督エマニュエル・ルベツキと、視覚効果監修ティム・ウェバーが考案したのがまさにパイオニア的な発明ともいえる装置“ライトボックス”である。
ルベツキはこう説明する。「とても複雑な照明の問題を解決しなければならないことがプリビズの間に明らかになったんだ。コンピューター上でキャラクターたちの顔に照明をどうあてるかをいったん決めたあとで、実写とアニメーションを完璧に合成するためには、両方の照明をピッタリ合わせられないとうまくいかない。速く動き、瞬間的に色を変えられる照明が必要だったんだ」
よくあることだが、ルベツキがインスピレーションを得たのは意外なところからだった。彼はこう思い返す。「僕があるコンサートに行ったとき、照明ディレクターが巧妙にLEDライトを使い、美しい照明効果と投射を創り出していることに気づいたんだ。それこそ、僕たちにとっての解決策になると分かって僕はもう興奮したね。その翌日、僕はアルフォンソに電話し、『この映画の照明方法を見つけたと思う』と伝えたんだ」
ルベツキはウェバーに連絡し、ふたりはさまざまなテストを始めたのだが、それは完璧なものからは程遠かったとルベツキは言う。「調整しなければならない問題がいろいろあったんだ。点滅とか、色調の収差(光の波長による像のズレ)とか。潔く認めるけど、そういうすべての問題に対する解決策を思いついたのはティムで、彼はこのまったく新しいアイデアに生命を吹き込んでくれた。その後、マネックス・エフレム率いる特殊効果チームが、ティムと僕が指定した仕様に基づいてボックスを作ってくれたんだ。これはほんとうにスタッフ全員の努力のたまものだよ。そしてライトボックスが完成したとき、僕は、これでこの映画の照明が解決できただけなく、これから先何年も、映画撮影のときに僕の照明方法に大きな影響を与えるものだと分かった」
さて、完成したライトボックスは、ロンドンにあるシェパートン・スタジオのステージRに作られた少し高い台の上に設置された。その外寸は高さ約6メートル、幅約3メートルだ。片側には、内部に通じるスライドドアまで階段があり、反対側にはこの装置をそれ自身の“管制センター”――ずらりと並んだコンピューターの前に陣取る視覚効果テクニシャンたち――に接続させる台があった。ライトボックス自体からの光以外に、このサウンドステージで許された光はそのコンピューターのモニターの明かりだけだった。
「あれは構造に工夫をこらした見事な装置だよ」とエフレムは説明する。「僕たちは、あれを形を変えられるように作ったんだ。壁を備え付けたり、天井を下ろしたり、床の構造を変えたり。個々のパネルの中には、開閉できるように蝶番を付けたものもあった」
ライトボックスの内部は196枚のパネルでできており、パネル1枚のサイズは約60センチメートルx60センチメートルで、4096個のLED電球がはめ込まれていた。それによって、必要に応じてどんな光や色でも投射でき、どんな速さでもそれを変更することが可能になった。
ウェバーはこう説明する。「あのパネルは基本的に、TVやコンピューターのモニターの画素のように機能したんだ。ライトボックスの何がすばらしいかというと、ほかの方法では物理的に不可能な形で照明の調整ができるようになっただけでなく、色と質感の両方に微妙な変化をつけることができ、照明自体にものすごい複雑さを加えることを可能にしてくれた点だ」
彼らにとって、壁にどんなイメージでも――地球であれ、国際宇宙ステーション(ISS)であれ、遠くの星であれ――投影することができたのも利点だった。「自分のキャラクターが何を見ているのかということを俳優が見ることができたからね」とウェバーは続ける。「ライトボックスの第一の目的は俳優たちに適切な照明をあてられることだったが、彼らにとっても視覚的な参考になるという二重の利点があった」
地球の反射光の影と明るさを決定するうえで、フィルムメーカーたちが考慮しなければならなかったのは、地球とキャラクターたちの位置関係だった。キュアロンはこう語る。「私たちは、できる限り、理にかなった位置の移動にしようとした。日の出、日没、昼から夜への変わり目、さらに異なる環境――太平洋の青さ、都会の灯りの密集、北極圏のオーロラなど――にきちんと合うように。ただ、地球の息をのむような美しさを雄弁に語る“旅”を創り出すため、少しばかり手を加えたけどね」
幸いにも、彼らはこれ以上はないというほどの参考資料を手に入れることができた。それについてウェバーはこう語る。「NASAがそれまで集めた情報の多くを気持ちよく提供してくれたので、僕たちはとても幸運だったよ。とくに、写真や映像資料は有り難かった。宇宙飛行士というのは、実際、とても撮影が上手で、僕たちはほんとうにすばらしい画像や映像を見ることができた。ISSから彼らが撮ったタイムラプス映像(一定時間の間隔をあけて撮影した静止画を連続させて見せる動画)を観たときは、『うわぁ、僕たちがこのような映像を創っても、誰も本物だと信じないだろうな』と言ったものだ。本物とは思えないくらいすばらしい光景だった」
サンドラ・ブロックはこう語る。「私たちのこの世界を、どうやって観客に見せられるようにしたか。そのプロセスを知って私はほんとうに圧倒されたわ。そして、あんな映像を私は観たことがなかったし、地球に対して、今ほどの感謝をしてこなかったことに罪悪感を抱いたくらい」
ブロックは、ライトボックスの中で長い時間を過ごした。それについてキュアロンは、ある意味で、彼女が演じたキャラクターの孤独感を反映したと言う。「サンドラは基本的に1人でこのボックスの中にいた。セットのほかの人々から隔離され、ボックスの中では投影された太陽と月と地球が彼女の周囲を回っていたんだ。私たちはどれくらい長く彼女を隔離状態にしておいて大丈夫か心配だったんだが、サンドラはその孤独感をクリエイティブに適応させ、あの時点の彼女自身の経験を反映させることができた。そこが興味深かったね」
「あのボックスの中に入ると、小さなイヤホン越しに聞こえてくる声以外には、人間的なつながりがまったくなかったの。お陰で、ほんとうに自分は独りなんだと感じることができた」とブロックは言う。「ああいう形で撮影ができてよかったわ。イライラしてきたり、寂しくなってきたり、どうしていいか分からなくなり始めるといつでも、私はこう自分に言い聞かせたのよ。『この気持ちを使うの……演技に使うのよ』と」
ロボット工学、装置、そしてワイヤー遊泳
ライトボックスは技術的問題のいくつかを解決したものの、その機能を損なわずに、中の俳優を、どう撮影するかという問題を生み出した。そこで彼らが工夫しなければならなかったのがカメラだ。それは、60センチぐらいの隙間に入る小ささと柔軟性をもち、しかも、指示どおりに動くものでなければならない。
ここでもまた、キュアロンたちにとっては“必要は発明の母”という格言どおりになった。
フィルムメーカーたちは、ボット&ドリー社という会社のロボット――自動車製造で使われるタイプ――を使うことにした。その大きなロボットアームの先端に、特別仕様の動作制御カメラを固定し、アームがさまざまな速度で伸びてボックス内の正しい位置にカメラを合わせるのだ。アームの複数の軸によって、キュアロンたちはコンピューター操作によってカメラのパン、傾き、揺れなどを調整することができた。キュアロンはこう語る。「あのロボットカメラによって、私たちはそれまでになかったレベルの正確さと整合性で撮影することができた。いったんコンピューターにショットをプログラムすれば、カメラはどのテイクでも同じ位置に着いたからだ」
だが、照明やカメラが動くからといって、俳優はただじっとして、周囲が動くのに任せておけばいいというわけではなかった。ライトボックスの床には、特殊効果チームによってターンテーブルが設置されていた。その上でシーンに応じて彼らが組み立てた装置によって、俳優は体をひねられたり、回されたり、持ち上げられたりした。
「あのターンテーブルのお陰で、かなりいろいろなことができた」と特殊効果監修のマネックス・エフレムは言う。「装置の中には、“ハート・トゥ・ハート”と名づけた、比較的穏やかな動きをするタイプがあり、それを使うと、宇宙空間を回転している間にサンドラとジョージが顔を向き合わせることができたんだ。また、“ティルト・プラス”と呼んだ装置では、彼らをジャイロスコープ(回転儀)の中に入れるような感じだった」
“ティルト・プラス”装置は、金属製の同心円構造の円錐に似た部分が人間の下半身を取り囲んでいるもので、いったん俳優が固定されると、その装置はその名のとおり、極端な角度にさまざまな速度で俳優の体を回したり、傾けたりする。だが、その俳優を完全に逆さにする直前で止まらなければならない。なぜなら、「完全に逆さまにすれば、体に圧力がかかり、無重力に見えなくなってしまうからだ」とエフレムは説明する。
いかに無重力状態に見せるかが本作の鍵だった。製作総指揮を務めたニッキ・ペニーはこう語る。「この映画を作るうえでの最大のチャレンジのひとつが重力だったのよ。つまり、いかに重力がないと思わせる映像を創り出し、全編を通していかにそれを維持するかということだった」
そのシークエンスに合わせて、無重力を模する異なる技術が採用され、さまざまな装置を使ったり、従来のワイヤーワークを採用したりした。だが、いくつかのシーン――ライアンがISS内部の通路を通るシーンを含めて――では、彼女が苦労せずに滑らかに動いているように見せるために、大変な労力が払われた。
そのシーンでは、フィルムメーカーたちが求めている漂う雰囲気が出せないため、従来のワイヤーは選択肢になかった。そしてそれを達成するために、特殊効果監修のニール・コーボールドが開発したのが、革新的な12本のワイヤーを使うシステムである。それは手動でも操作でき、あるいは、12本ワイヤー装置のコンピューター制御のミニチュア・レプリカを通して遠隔操作することもできる。
“ヘッド”と呼ばれる複雑な滑車装置から、12本のワイヤーがそれぞれ三角形状に吊り下げられ、各ワイヤーにはそれ自体のモーターと巻き上げ機が備わっている。そのワイヤーは、サンドラ・ブロックの体に合わせて作られた超薄型のカーボンファイバー・ハーネスに取りつけられた。そのハーネスは、タンクトップとショーツという軽装であっても、表に形が表れないように身に着けることができる。ブロックの肩と腰の両側にそれぞれ3本のワイヤーが固定され、振り子効果を出すことなく、彼女を宙に浮かせることができた。
制作に10か月かけたその複雑な12本のワイヤー・システムには、別々のサーボ装置が備わっており、ブロックをどの方向にでも押し進ませ、あるいは、どの角度にでも昇降させることができた。それはまた、かなりの速度――最高で秒速75メートル――でブロックを動かすこともできたが、安全上、あまりに速くなりすぎたり、体に強い力がかかりすぎ始めると自動的に停止するようプログラムされた。その12本のワイヤー装置は操り人形――非常にハイテクではあるが――に似ていたため、フィルムメーカーたちは、その操作のために業界でも最高のパペッティア(操り人形師)たちに協力を求めた。それがロビン・ギバー、アビー・レベンティス、マイキー・ブレット。彼らはさまざまな賞に輝いた舞台版「戦火の馬」で、パペットの馬に生命を吹き込んだアーティストたちの一員だ。本作のセットでは、彼らがブロックの無重力飛行を手助けした。
ギバーはこう語る。「人間が無重力状態にいるというのは、本来あるべき姿とは違いすぎるわけだけど、パペットの世界では、優雅で表情豊かに物理の法則を破ることができる。僕たちはこの映画でも同じスキルを使い、ほかの方法ではできない自由な動きを見つけていった」
ブロックは、撮影期間を通して、パペッティア・チームと信頼関係を築き、本能的に動けるようになるほどの結びつきを深めたと言う。「私が頭の向きを変えた瞬間に、彼らは私がどの方向へ行きたいかを分かるくらいに、私たちはとてもいいシンクロ状態になれたの。彼らはまさに本物のアーティストだわ」
ワイヤーと装置が体を吊るし支えるとはいえ、ブロックは毎日毎日何時間もその状態でいることは肉体的に過酷だと分かっていた。その準備として、彼女は撮影の数か月前からハードなトレーニングを始め、撮影終了までずっと続けた。「私は自分の体を極限まで追い込んだのよ」と彼女は明かす。「体力的に、私は、いつアルフォンソから何かを求められても応じられるという自信をもちたかったの。だから、トレーニングをしない日はなかったわね。それが、アルフォンソのあのケタ外れのビジョンを実現させるために、あれだけのすばらしい才能が集結した作品に私が貢献できることのひとつだったから」
ブロックはまた、身のこなし方の指導者であるフランチェスカ・ジェインズの助けを借り、無重力状態での動き方についてみっちり練習を積んだ。ふたりは本物の宇宙飛行士たちの映像を観て、どの動きも、地球上での動きに比べていかに慎重に見えるかを確認した。「宇宙で動く速度だと、バレエ的なリズムがあるの」とジェインズは言う。
そのリズムのために、ブロックはまた別のチャレンジにぶつかった。彼女は、ふだんよりずっとゆっくり動きながらも、セリフはふつうのリズムで言わなければならなかったのだ。そのズレは想像よりずっと難しい。「言葉と動きが、脳が自然に命じる形ではないから」と彼女は言う。「私は、撮影中はずっと、宇宙で反応するように体がつねに反応するようにしておく必要があったの。詩的で叙情的に無重力状態を表現するためには、私という人間のあらゆる部分を使わなければならなかった」
そんな努力がもっとも反映されたのはおそらく、ISSのエアロック内でのライアンのショットだろう。そのシークエンスは本作でももっとも複雑な撮影のひとつで、ロボット3台の完全な同期を必要とした。1台は回転するカメラを搭載、2台めは、差し込んでくる太陽の光を表現するためのメインの光源、そして3台めは回転している感覚を出すために、奥の壁でエアロックののぞき窓を回す役目を担っていた。そういう最新式装置に囲まれて、そのシーンの撮影には非常に人間的な要素があった。キュアロンの演出のもとで、ブロック――特殊な自転車のサドル装置に片脚だけ固定された状態――は、自分の動きのタイミングを完璧に計りながら、ワイヤーやパペッティアたちの助けを借りずに、上半身と自由な片脚をスムーズに移動させなければならなかった。
その結果、あらゆる意味において、息をのむほど美しい瞬間として実を結んだ。彼女はひと言も発せずに、本作の中心的テーマである“再生”を雄弁に表現したのだ。
宇宙をデザイン
ISSの通路やエアロックを含め、本作のセットの大部分はバーチャル・セットだ。美術監督のアンディ・ニコルソンはこう語る。「僕は、それまでも実際のセットを引き延ばして、あとで合成できるように背景板を作っておくなどという意味では、視覚効果と連動することに慣れていた。でも、この映画は僕にとってはまったく新しい経験になったよ。コンピューターでのみ創り出されたセットであっても、全編を通して細部まで本物に見えるように創り上げる必要があったからだ」
世の中に知られている実在の構造物を主として再現することになるため、ニコルソンと彼が率いる美術チームは、徹底的なリサーチに取りかかった。「公開資料となっているNASAの写真や技術的なデータがあれほど多くなかったら、ここまで細部までこだわったものはできなかっただろう。僕たちはできる限り、事実に基づいて作りたかったし、それと同時に、必要に応じて柔軟でいたかった」とニコルソン。
ニコルソンはプリビズの段階でデザインを考え始めた。それについて彼はこう説明する。「僕たちはまず、基本的にシーンごとにCGセットを創っていくことから始めた。その後、何がうまくいき、何がうまくいかないかについてのフィードバックをもらい、それを受けてまた検討して変更を加える……という繰り返しだった。アルフォンソが承認したセットついては、そこからさらに練り上げ、最終的には、視覚効果工房のフレームストア社によって“建てられた”んだ」
スーパーバイジング・アートディレクターのマーク・スクルトンはこう思い返す。「完全にCGでありながらも、実際にある物体に見えなければならないセットや小道具をどうデザインするかについて、僕たちは最初は理解に苦しんだ。また、その多くが一般的に関心の高い物だということも分かっていたので、ほんとうにできる限り、ギリギリまで正確でなければならなかったわけだ。僕たちは、実際にシャトルやISSに行ったようにすべてを見せたかったんだよ」
無数にある小道具――手で使う大きめの道具から、ごく小さなボルトまで――は、そのひとつひとつが丹念に研究され、デザインされたあとで、コンピューターでモデル化された。それによって“小道具ライブラリー”ができ、それはその後、セットをコンピューター上で“装飾”するときに使われた。ISSでは異なる国の人々が働いていることを考え、ニコルソンは彼らの異なる文化をさりげなく反映させるものをセットにいくつか加えた。
彼らはまた、宇宙においてでさえ、年月による消耗があるという事実を反映させる必要があった。「宇宙ステーションは13年間近く継続して使われてきたので、内部にも外部にも、その古さが表れている部分がある。僕たちはデザイン上にその消耗感をある程度、盛り込んで、フレームストアの担当部門のアーティストたちに情報を送った。この映画で目に入るどの表面部分にも、そういうものすごくこだわった部分があるんだ。たださっと通り過ぎるような部分にでさえね」とニコルソンは言う。
当然、実際に作られたすべてのセットにも、同じこだわりが込められた。その中には、ロシアの宇宙船ソユーズの帰還用カプセルもある。ニコルソンはこう説明する。「充分な参考資料が手に入ったので、僕たちは実際のソユーズのカプセルをかなり忠実に再現できた。サイドハッチなど、いくつかの点では意図的に手を加えたけどね。そして幸運にも、本物の宇宙飛行士アンディ・トーマスから貴重なアドバイスを得ることができたんだ。彼からは、ソユーズのコンピューター・インターフェースやコマンド、そして、カプセル内部の特徴についていろいろ教わった。すべてがどう機能するのかを可能な限り理解することが僕たちにとっては極めて重要だったんだ」
サンドラ・ブロックもニコルソンたちと同じことを知りたがっていた。「具体的にどう操作するのか、あるボタンを押せば何が起こるのかを私は知りたかったの」と彼女は思い起こす。「この映画のすべてが本物に見えるように、誰もがものすごく頑張っていた」
ソユーズのカプセルのセットは、ライアンとマットとの間で交わされる重要な会話シーンを含め、長く続くショットに合わせられるように、いくつかの部分に分けて作られた。スクルトンはこう説明する。「あのセットは5つの部分に分かれていて、それぞれを個々のレールに乗せたんだ。そうすることで、シーンが進むにつれ、各部分を引き出して場所を空け、そこをカメラが通り過ぎることができるようにした。そして、タイミングを計り、それぞれの部分はまた静かに元の位置に戻され、カメラが今出てきたばかりの場所を映せるようにしたんだ」
ニコルソンはこう付け加える。「あれは、とても狭いスペースでカメラの動きが多かったので、複雑だった。いつくかのショットでは、最高16人のスタッフがカプセル・セットの一部を、カメラの動きに正確に合わせながら、静かに出し入れしていたんだ。どうすればうまくいくかを見極めるのに時間がかかったし、各ショットを綿密にリハーサルしたよ」
ニコルソンと同じく、衣装デザイナーのジャニー・ティマイムも、バーチャルと現実の両方の視点から衣装に取り組まなければならなかった。ライアンとマットが最初に登場するときの宇宙服はコンピューター・アニメーションだ。ティマイムはこう語る。「あれは私にとってまったく新しい経験だった。それでもまだ、私は実際に布地を手に取り、色や触感を確かめることができたから助かったわ。コンピューター上だけでデザインするのは私には不可能だったから」
バーチャルの世界でさえ、宇宙服の色は難問だった。というのも、「白は照明によっていちばん左右されやすい色だから」とティマイム。「それでも、白でなければならなかったの。NASAの宇宙服は白で、それはとても重要だったからよ。私たちは白のさまざまな陰影を試し、外側のレイヤーをグレーにすることで問題が解決したわ」
そのように色には忠実である一方で、ティマイムは宇宙服の形では少しだけ“脚色”したことを認める。「ウエスト部分をちょっとだけ絞り、脚を長くして、わずかに本物よりカッコよくしたの。でないと、四角形の大きな袋みたいな感じだったからよ。手を加えたのはほんとうに細かい部分だけだけど、スクリーン上では大きな違いになるものなの。ここをちょっとひねり、そこをちょっと伸ばし……そうすると手品みたいにうまくいくというわけ」
NASAの本物の宇宙服は非常にかさばるだけでなく、ものすごく重い。保護素材が幾層にも重なり、体温調節と酸素供給のシステムが付いているからだ。それらはすべて、宇宙空間でのサバイバルに必要なものではあるが、地球の大地の上ではあまりにももたつき感が大きく、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーがそれを着て演技をするのは耐えがたいものになっただろう。
そんなわけで、実際に彼らが着たのはそういう点が考慮された宇宙服だった。ティマイムはこう説明する。「全体的にはちゃんと現実に即した色と生地なので、それを着た彼らに照明があたったときのエフェクトは同じだったの。ふたりにはその下に、動きやすさを制限し、かさばる感覚を与えるためにとくにあつらえた、体を制限するスーツを着せたのよ」
モデル制作チーフのピエール・ボアナによれば、その“制限スーツ”は軽量で、俳優たちの柔軟性を妨げる程度にまで伸びることができる伸縮性のあるチューブが付いていた。ボアナはこう語る。「宇宙飛行士と話をしたところ、本物の宇宙服は体につねにストレスがかかるもので、タイヤの中に入っているような感じだと言われた。僕たちは、その同じ感覚に近いものを目指したんだ。それで、例えば、ジョージとサンドラが腕を回そうとしているとき、彼らが回せる範囲には限界がある。肉体的に自分たちの動きを抑制することを覚え込もうとしなくても、そのチューブのお陰で腕を押し出しにくく、宇宙服を着るのがどんな感じかが彼らに分かるんだ。」
俳優たちがかぶったヘルメットも代用品で、それはのちに、ティマイムがアルフォンソ・キュアロンと検討して決めたデザインに合わせてCGIに差し替えられた。それぞれの顔に、より釣り合わせるために、形と大きさでわずかな変更が加えられたものの、本物として通用するデザインだ。
ヘルメットのバイザー部分は完全にCGだった。視覚効果監修のティム・ウェバーによれば、彼にとって最大の難問のひとつが、キャラクターたちの息から発生する曇りをバイザーに創り出すことだったそうだ。「僕たちは、俳優たちがどれくらいの間隔で息遣いをするかを計り、また、バイザーに対して顔がどこを向いているかをじっくり観察した。現実では、宇宙服のシステムがヘルメット内の空気をとても乾燥させているので、バイザーにあれほどの息の曇りは見えないんだが、この映画では、彼らの緊張感を視覚的に示すものとして必要だったんだ」
ライアンのほうはロシアの宇宙服も着る。NASAの宇宙服に比べるとかさばる感じが少ないロシア版は、工業用生地で実際に作られた衣装だ。その宇宙服は、NASA版のような色の問題はなかった。「まず生地をグリーンがかったベージュに染めたの。その後、長いプロセスを経て、照明を正しく反映するピッタリな色調を見つけたのよ。また、少し女性的なシルエットにするために手を加え、前面にジッパーを2本加えたの。そこがオリジナルからの変化ね」とティマイム。
興味深いことに、いちばんシンプルそうな衣装が、ティマイムによればもっとも難しかったそうだ。「ISS内でサンドラが着ているタンクトップとショーツは、その下にワイヤー用のハーネスを身に着けることを考慮に入れなければならなかったの。その形が表に出ないように、どこを隠さなければならないか、そしてそれに合わせてどのように調整するかを見極めるのが難しかったわ」
音響&音楽
音のない世界を舞台にした映画にとって、音響はフィルムメーカーにとってもっとも難しいデザイン要素のひとつとなった。アルフォンソ・キュアロンはこう語る。「宇宙には音がないので、私たちはその事実をできるだけ尊重したかった。この映画では、音を消し去ったシークエンスがいくつかあるが、それを映画全編で続けると、観客がなじめないのではないかと思ったんだ」
キュアロンと、スーパーバイジング音響エディター/音響デザイナーのグレン・フリーマントルは、音と“接触”を相互に関連づけることから音響に取り組んだ。フリーマントルはこう説明する。「音のコンセプトのひとつは、それが振動を通して伝わるということだ。人が何かに触ると、人とその物体の内部のつながりを通して共鳴が起きる。だから、ライアンが何かに触り、接触すると、彼女を通してその音が聞こえるということだ」
突然訪れる静寂もまた、音響デザインの不可欠な部分だった。キュアロンは、それをどこで使うかを慎重に選び、予期せず聴覚のリンクを切断することによって、キャラクターたちが存在するのは生命を維持するものが何もない深淵なのだということを観客に思い起こさせた。
キュアロンは音楽を、「音響の役割を担うか、あるいは音調を暗示させるものとして」利用したと言う。音響と音楽という2つの要素を重ね合わせるために、フリーマントルは作曲家スティーブン・プライスと密に連携をとった。プライスはこう語る。「グレンと彼のチームと協力できてとてもよかったよ。彼らは振動と低周波を利用して、さりげなくアクションを支えていたので、従来の形で音を聞くことなく衝撃を感じる。僕はそれを違うやり方で音楽でもやりたかった」
キュアロンはこう説明する。「私はこの映画の音楽は、複雑な質感をもつもの、音楽と音響の境界線を曖昧にするものにしたかったので、スティーブンにはパーカッションは使わないでほしいと頼んだ。それは彼にとってチャレンジになった。従来のアクション映画のスコアでなら彼が通常使うはずの基本的な楽器のいくつかを使わずに、すべてのアクションとサスペンスの音楽を作らなければならなかったからね。彼は脈動感を出すため、パーカッションの代わりに、通常より多くの電子楽器とアコースティック楽器を融合させ始めた。いったんそのコンセプトがしっくりくると、彼はそこからアイデアをふくらませ始めたんだ」
「これは、通常のオーケストラを使わずに、音楽で激しさを高めるというチャレンジだった」とプライスは付け加える。「でも、そのお陰で僕はどんなことでも試すことができたんだ。アクション・シーンをどんな音楽にするか、感傷的なシーンにどんな曲を流すか、ということを独自の視点で考えることができた。アルフォンソのすごいところは、どんなことでもどんどん限界に挑みたがるので、ふつうなら決してやってみようとは思わなかったであろうことでも、試してみる気になれるんだ」
ジョージ・クルーニーはこう語る。「これは、非常に優れたフィルムメーカーが舵をとり、その中心にはすばらしい女優がいる映画なんだ。人がいわゆる“スペース・ムービー”に予想する以上の、信じられないほど深いテーマがある。それは自分自身の死……あるいは、自分自身の生をどのように受け入れるかを描いているんだ。そしてこの映画を観たあとは、きっといろんな会話が生まれると思うよ」
そしてサンドラ・ブロックはこう思い返す。「この映画の撮影に入ったときは、これだけ多くのレベルで自分に何ができるか、見当もつかなかった……肉体的にも、感情的にも、精神的にも。これはまさに肉体を変え、考え方を変え、そして衝撃を受ける経験だった。このすばらしい映画を観にきてくれる人々も、来たときとは何かが変わった気分で映画館をあとにしてくれるといいと思っているわ」
「『ゼロ・グラビティ』は私がこれまで関わった中でももっとも難易度が高いプロジェクトかもしれないね」と製作のデイビッド・ヘイマンは言う。「企画から完成までとても多くの側面があったし、誰もが何かユニークなことを成し遂げようと、ものすごく頑張ってくれた。これは美しく、優雅なフィルムメイキングであり、その複雑さと困難さによって、誰もが数えきれないほどの試練に直面した。そのどれも、完成した映画からは見えないものだけどね」
アルフォンソ・キュアロンはこう締めくくる。「この映画は、映像、音響、そして圧倒的な演技などさまざまな要素がすべて組み合わされた、総合的なコラボレーションで出来上がった作品だ。私たちは観客にこの“旅”に付き合ってもらいたい。そして、美しくも恐ろしい宇宙という空間を無重力で漂う体験を一緒に味わってほしい」
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